200916日放送 関西テレビ「アンカー」

 

 

特集/「広がる“左手のピアニスト”の世界」

 

左手だけでピアノを演奏する智内威雄(ちないたけお)さん。
これまでアンカーで何度かお伝えしていますが、智内さんの他にも難病に負けない左手のピアニストがいます。絶望の向こう側でピアニストたちが見たのは、新たな音楽の世界でした。


http://www.ktv.co.jp/anchor/static/files/Image/today/2009/01/image_2_1_2009_01_06.jpg京都市立芸術大学・大学院3年の内藤裕子さん。
彼女は左手だけでピアノを演奏します。ピアニストとして将来を嘱望されていた3年前、突然、神経性の病気を発症し、右手の自由を奪われました。
深い絶望のなかにいた彼女が、左手のピアニストとして生きる決意を固め、初めてコンサートを開いたのです。
内藤さん「左手でも両手でも表現の思いに変わりはない」

内藤さんは6歳にとき、姉の付き添いでピアノ教室にいったことがきっかけでピアノをはじめました。中学生で音楽の道に進むことを決意。その才能は認められ、名門、京都市立芸術大学音楽部を首席で卒業。
しかし、大学推薦でドイツの音楽大学へ留学が決まった矢先、右手にジストニアが発症したのです。ジストニアは手や腕の筋肉が収縮して思うように動かす事ができない症状がでる運動障害です。

内藤さんは、日常生活には支障はないですが、ピアニストとして納得の行く演奏ができないため、留学を諦めようと、障害があることを留学先の大学に正直に打ち明けたところ意外な答えが返ってきました。
内藤さん「ドイツにいけるのか不安。こなくていいと言われると思っていた。先生は是非来なさい。楽しみにしているからといってくれました」


http://www.ktv.co.jp/anchor/static/files/Image/today/2009/01/image_2_2_2009_01_06.jpg留学先のドイツでは、先に留学していた先輩たちがサポートしてくれました。

左手のピアニストとして演奏活動をしている智内威雄さん。
智内さんは留学中、右手にジストニアが発症し3年間リハビリ治療を経験しました。ジストニアの研究が進んでいるドイツには世界中からジストニアを抱える演奏家がリハビリにやってきていました。
内藤さんもリハビリを受け、右手の回復を願い続けていました
内藤さん「うちの母は辛かったことを知っている。とにかく信じることといつも言ってくれます」

その一方、智内さんや医師たちの交流のなかで左手のピアニストの可能性を強く感じることができるようになりました。
内藤さん「やっと実用的な治療というかリハビリに出会えた感じ。どこを目指せばいいかわかったので内心ほっとしている」「両手だけがピアノ音楽でないことを教えてもらいました」

左手のピアニストとして、すでに歩み始めていた智内さんは大きな壁を感じていました。左手で弾くピアノが一つの音楽の分野として確立してゆくには、左手のピアニスト用に作られた曲やアレンジが充実していく必要があったのです。
しかし、そのための演奏家・そして作曲家・編曲家を育てる教育機関が世界中のどこにも存在していなかったのです。


http://www.ktv.co.jp/anchor/static/files/Image/today/2009/01/image_2_3_2009_01_06.jpgあれから1年半。左手のピアノが認知される出来事がおこりました。
ピアノ界で世界最高峰の1つ、ドイツ・ハノーファー音楽大学の大学院で、世界で初めて、左手のピアニストのための「新たな学科」を設立する動きが始まったのです。その一期生を目指し、智内さんはこの日、入学試験に臨みました。4人の試験官が純粋に音楽として優れているかを評価し、合否が決まります。右手のハンディは考慮されません。

智内さん「合格しました」
世界で始めて音楽界の権威が左手のピアニストを認めた瞬間でした。


http://www.ktv.co.jp/anchor/static/files/Image/today/2009/01/image_2_4_2009_01_06.jpgハノーファー大学・ネックレベルク教授「これから威雄のような右手に問題がある学生が入学してくるのか、左手のピアノに興味もっている学生が入ってくるか楽しみに待ってみましょう」
智内さん「役目はたせたかな。僕が左手のピアノを勉強しはじめたときに欲しかった学科だった。後に続く人の役に立って欲しい」


http://www.ktv.co.jp/anchor/static/files/Image/today/2009/01/image_2_5_2009_01_06.jpg1年のドイツ留学で内藤さんが得たもの。
それは左手のピアニストとして舞台にたったとき「言葉が通じない国でも自分の音楽は受け入れてもらえる」という自信でした。左手の音楽を受け入れる市民に心から感謝し迷いはなくなったのです。
内藤さん「左手だけなのにすごいというのが正直な意見だけどおもいけど音楽として表現として凄いと言ってもらえるように頑張らないといけない」

ありのまま障害を受け入れ、自分にできる形で最高の音楽を表現したい。逆境を知るピアニストだからこそ、奏でられる心に響く音。
左手のピアノの世界はクラッシック音楽の新たな可能性を開くかもしれません。

HPより転載)

 

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